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第8回 壮観な建築物が歴史と共に佇む「近代競馬場発祥地」

    近代競馬場発祥地

    1860年代、横浜居留地にいた外国人達がレクリェーションとして西洋式競馬を始めました。
    当時は現在の中華街あたりで行われたといわれています。それまでの日本では金銭を賭けて競馬をするという習慣がなかったこともあり、この西洋式競馬は急激に人気を集めていきました。

    そこで外国人達がよりよい競馬場を幕府に求めたため、1866(慶応2)年、外国人遊歩道があった根岸村に根岸競馬場が建設されました。

    当初は居留外国人の組織である「横浜レースクラブ」によって、年に春・秋2回競馬が開催されていました。これをきっかけに明治時代に入ると、日本各地に競馬が広まっていったのです。

    1880(明治13)年、日本人の運営による「日本レースクラブ」が結成され、天皇賞の原型になったと言われる『ザ・ミカド・ヴェイス』というレースが開催されました。勝ち馬の馬主には明治天皇から花瓶が下賜されたそうです。

    その後、、新スタンド(馬見所)の竣工や横濱競馬場への名称の変更、皐月賞の開催など根岸での競馬は全盛期を迎えますが、第2次世界大戦の勃発により1942(昭和17)年10月18日の競走を 最後に閉鎖されました。

    戦後は米軍に接収されましたが、1969(昭和44)年に一部解除されたため、横浜市が整備をして1977(昭和52)年根岸森林公園として一般に開放されました。
    広い公園内には桜を始めとした多くの樹木が四季を彩り、人々の寛ぎの場となっています。
    丘の上には、開設当時の一等観覧席が歴史を感じさせるように静かに佇んでいます。
    「馬の博物館」やポニーセンターなども併設されており、近代競馬場発祥地の名残を留めています。

    取材場所詳細
    場所:近代競馬場発祥地
    馬の博物館:午前10時~午後4時30分 休館日 月曜日・年末年始・ 臨時休館あり
    住所:横浜市中区根岸台 ★地図